【五官王と普賢菩薩】四七日に行われる“第四の裁き”
こんにちは!ぼっちぃです。
仏教では、人が亡くなると49日間の「中陰(ちゅういん)」と呼ばれる修行期間を経て、次の生(来世)が決まるといわれています。
この49日間のあいだ、魂は7日ごとに7回の“裁き”を受けます。
今回は、その4回目、亡くなってから28日目――
**四七日(ししちにち)**に関わるお話をお届けします。
四七日、五官王による審判とは?

四七日目には、「五官王(ごかんおう)」という冥府の王が登場し、4回目の裁きを行います。
五官王は、「目・耳・鼻・舌・身」という五感を象徴する王。
この五感を通じて、生前に人を傷つけるような言動をしなかったか――
その罪の重さを見極めるのです。
そして、この五官王の本地仏(ほんじぶつ)――
つまりその本来の姿は、**智慧と慈悲を備えた「普賢菩薩(ふげんぼさつ)」**です。
五官王のもとに辿り着くまで
五官王の庁舎に至るには、まず「業江(ごうこう)」と呼ばれる大きな川を越えねばなりません。
その川幅は500里(約2000km)にも及び、見た目は静かで穏やか。
しかし、その正体は――沸騰する熱湯のように熱く、強烈な悪臭を放つ“業(カルマ)の川”です。
死者はこの川を前にして、当然ながら身のすくむ思いをします。
しかしそこへ、情け容赦のない獄卒(ごくそつ)=冥界の鬼たちが現れ、罪人を棒で無理やり川の中へ押し込むのです。
やがて身体には、鉄のくちばしを持つ毒虫たちが群がり、皮膚を食い破り、肉を吸い尽くしていく――。
この地獄のような苦しみは、七日七晩にもわたって続くと伝えられています。
業の秤(ごうのはかり)が裁く
ようやく五官王の前へと辿り着いた死者は、「秤量舎(しょうりょうしゃ)」という場所へ連れていかれます。
そこには、「業秤(ごうのはかり)」と呼ばれる特別な秤が据えられており、生前に積み重ねた“善と悪の行い”が、この秤によって量られるのです。
罪人がその秤に乗せられると、反対側に置かれた巨大な岩が――まるで羽のようにふわりと持ち上がってしまう。
つまりそれほどまでに、罪の重さが“想像を超える”ということ。
それを見た鬼たちは怒り狂い、死者を秤から引きずり下ろし、金棒で何百回、何千回と打ちすえるのです。
身体は砕け、血が飛び散り、命尽きたかと思えば――業の報いによって再び命を吹き返し、また砕かれる。
その苦しみは終わりなく、容赦なく続くのです。
わずかな“供養の想い”が救いとなる

そんな中、五官王はこう告げます。
「もし、生きている者の中に、お前のために祈りを捧げる人がいたなら――ここまで来ることはなかっただろう。だが今は、誰も手を合わせてはくれない。それでも、わずかにでも仏とのご縁があったから、地獄に落ちずにここまで辿り着けたのだ。」
――つまり、残された人の供養の心が、亡き人の行く先を左右するということです。
私たちが誰かのために手を合わせることは、決して無意味ではない。
その「想い」が、大きな救いにつながるのです。
まとめ
四七日(ししちにち)の裁きを司る「五官王」は、人が生前に 五感を通してどんな影響を与えてきたか を厳しく見つめます。
目で見たもの、耳にした言葉、口から出た言葉、体で行った行動――
小さな言動が、誰かを傷つけていなかったか。
その「積み重ね」が秤にかけられ、重くのしかかるのです。
でも、もし誰かが「あなたのために」手を合わせてくれていたら、
その想いがちゃんと届いて、地獄行きを回避できるかもしれない。
だからこそ、「手を合わせる」って、やっぱりすごく大事。
小さな祈りが、誰かを救う力になるんです。
次回――
五七日(いつしちにち)の審判を行う、閻魔王(えんまおう)と地蔵菩薩(じぞうぼさつ)のお話をお届けします!
“あの世の裁き”の代表格ともいえる閻魔さま。
どんな役目があるのか、ぜひ次回も読んでみてくださいね♪